オレが10代に言いたいことは3つある。
(1)自殺したい?わかった。じゃあ、35歳になって死ね。それまでは生きろ。どうせ死ぬなら、35歳で死んでもいい。それまで生きてもいいじゃないか。マジで俺は綺麗事は言わないし、悪いことは言わないが、少なくとも20代を味わないで死ぬのは馬鹿げている。
人生というのは、
- 10代
- 20代
- 30代
が面白いというのが決まっていて、
- 10代 =親が強い人が楽しい
- 20代 =10代を頑張った人が楽しい
- 30代 =20代を頑張った人が楽しい
というのが概観である。
10代で絶望するのは、初期条件・親が決めた環境がほとんどの人生に絶望し過ぎている。
はっきり言おう。
10代の人間の人生は、その本人が決めた要素は2割もない。
まず、一人暮らしすらしていない段階で死ぬのは馬鹿げている。
10代で人生楽しいやつは、「親が強くて、イケメン・美女に生んでくれたやつ」である。本人の努力は関係ない。
10代で人生楽しいのはこういう奴らだ。
(2) ”14歳〜24歳の10年は人生を変えられる”と信じた方が、君の得である
35歳で死ね、と言ったのは、この年齢から変わる奴はほとんどいないからだ。そして、この年齢の奴らからしたら、10代なんて、死ぬほど羨ましい年代である。可能性とチャンスに満ち溢れている。やれることがたくさんある。
本当かどうか、
できるかどうかはさておき、
14歳から24歳の10年間は自分の努力次第で自分をどこまでも高みに連れていける
と完全に信じ込んだ方が人生の期待値は高い。そう信じ込んで生きた方が、30歳前後の人生に天地の差が生まれるだろう。
“親ガチャで全部決まるから”
と捻くれてふて腐れるのも良いのだが、問題は、歳を重ねると「頑張る権利がない」ということである。
若いうちは、
- 頑張る
- 頑張らない
の2つの選択肢がある。選べるのだ。
しかし、歳を重ねると、選択肢がない。頑張れない(精神力・体力がない)。頑張らせてもらえない(機会を与えてもらえない)。
また、若いうちは、
将来起業したいんです
とか、
夢があるんです
とホラを吹いて回ると良い。ホラを吹いて回ると、そしてそのために努力してる賢明な姿勢が見えると、周りの大人たちが応援してくれたり、役に立てる人を繋げてくれたりする。
つまり、若いと、
未来が売れる
のである。
しかし、35歳となると、未来はもう売れない。売れるのは「過去」だ。その人がやってきた過去を売っていくことになる。
(3)大きな夢なんて無くても良い、都会の人になってみろ
最後に伝えたいのは、
大きな夢なんて無くても良いから、
- 東京に来る
- 一人暮らしをする
- 生活にある程度余裕があるくらい稼ぐ
- 仕事がそんなに嫌じゃない
の4つが揃えば、人生は意外と楽しい、ということだ。
まず、
- 東京 (横浜でもいい)
- 名古屋
- 大阪 (京都、神戸でもいい)
のどれかに住まないまま、その界隈で働かないまま、「人生が面白くない」となるのは当たり前である。逆にいうと、その界隈で働けば、人生は結構面白い。
何がしたい、
これがしたい、
じゃなくて、まず、「都会の平均より上の人」になってみろ。
そしてそれは、遠い夢じゃない。
田舎者に限って、
- 歌手になりたい
- アイドルになりたい
- 小説家になりたい
とぶっ飛んだことを抜かす。
そして、たいてい、叶わない。
まず、普通に、都会の人になってみろ。
都会は普通に楽しい。
都会の生活はキラキラしている。
都会の人には、
君が高卒だろうと、
大学中退だろうと、
大卒だろうと、なれる。
まず、頑張って都会に来ること。都会で働くこと。
そして、18歳〜35歳の間で、うまく転職を重ねて、キャリアを作ること。
これができれば、君の人生は楽しいはずだ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。